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尿道下裂の男性たちへのインタビュー

尿道下裂の男性たちへの
インタビュー

今どんな状態であろうと、それはお前を定義するものではない。尿道下裂はお前の一部ではあるけど、それはお前じゃない。尿道下裂なんてたったひとつの部分に自分の人生を決められてはいけない。自分の人生をつくるのはあくまで自分なのだから

 

御覧の皆様へ

 

 尿道下裂とは男の子・男性のDSDsのひとつで、生まれた時、尿道口の位置が陰茎の先端ではなく、陰茎の下側、陰茎の途中から陰嚢にかけてのどこかに開いた状態です。日本では男の子の1,300人に1人の割合で起きると言われています。そのほとんどが尿道口が陰茎の先端から少しずれた「軽度尿道下裂」ですが、陰嚢に近いところに尿道口が開いている「高度尿道下裂」の場合は、外性器の見た目だけでは性別がすぐには分からない状態であり、然るべき検査が必要になり、検査の上で男の子だということが判明します。

 

 男性に一般的とされている位置に尿道口を持っていく手術もありますが、特に高度の場合は複数回の手術が必要となり、本人や家族の精神的な負担がかかりえます。

 

 また、手術の有無に関わらず、他の男性と自分との違いによって、これは時代によってもかなり異なりますが、自分の男性性・男らしさを損なわれるのではないかという恐れから、自尊心を失い、友人関係・恋愛関係から遠ざかってしまう人もいます。ライフストーリーをお読みいただいてもお分かりいただけると思いますが、昔の時代を生きてきた男性たちはかなり辛い思いをしながら生きてこられています。ですが、欧米の最近の世代の男性たちは、医療での支援やサポートグループが整備されたことから、これも一つのちょっとした違いに過ぎないと思える人も多くなってきています。

 ここでは、イギリスの尿道下裂で生まれた男性のサポートグループ(英国尿道下裂財団)のみなさんのインタビューをお送りします。

 

 尿道下裂男性をはじめとするDSDsは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。

 尿道下裂の状態で生まれた男の子は全くの男性であり、DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。

 

 どうか、お間違いのないようにお願い致します。

 

 詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。

自分の気持ちを伝えるなんてとてもじゃないけどできなかった

ポール:驚くべきことに、この病気が影響を及ぼす男の子の数を考えると、ほとんどの人が尿道下裂という言葉を聞いたことがないということです。


ナレーター: 一般的な先天性の障害であり、DSDs(体の性の様々な発達)でもある尿道下裂は、200人に1人から300人に1人の男の子が持っているとされる状態です。これは、尿道の開口部(おしっこの穴)がペニスの先端ではなく下側に現れることで起こります。(訳者注:日本では男性1,300人に1人の割合と言われています)
 

 特に矯正手術を伴う場合には、排尿や性機能が損なわれ、その後の生活に支障をきたす可能性があるため、尿道下裂の健康への影響は大きい。尿道下裂の状態で生まれた3人の男性に話を聞き、彼らの経験を聞きました。
 

 ポールさんは幼い頃、尿道下裂を矯正するために手術を受けた経験を話してくれました。
 

ポール:10代の頃までは「尿道下裂」という言葉自体知らなかったと思う。けど、3、4、5歳の間にグレート・オーモンド・ストリート病院で何度か手術を受けたので、幼い頃から自分のペニスに何か問題があることはわかってた。穴の位置が違ってて、修正しなければならないと。僕のは中度の尿道下裂だったので、座ってトイレをしなければならなかったんだけど、これは尿道口が下の方にあるからなんだ。だから立って小便ができない。なので子どもの頃は、座ってトイレをしなければならなかったんだけど、それは全然受け入れてたし、自意識過剰に感じた記憶もない。


ジェームズ:僕が生まれたとき、最初の数日は女の子の名前をつけられてたんです。でも3日目になって助産師さんが「ちょっと待ってください。間違いがあったかもしれない」と言ったんです。その後、染色体検査が行われました。


ナレーター:ジェームスは男性だと判明しました。ペニスの根元に尿道下裂があって生まれた彼は、外科的な手術を受けました。
 

ジェームズ: 生後6ヶ月頃から 医者に診てもらい始めました。それから13年間で16~17回の手術を受けました。それは、以前に起こったことを修復するための矯正手術でした。その都度、違うものを試したり、違う修復をしたりしていました。瘢痕化(はんこんか)が酷くて、修復できる組織も、もうあまりありませんでした。


 尿道と包皮が非常に薄い構造になってしまいました。鼠径部と股間部に尿が溜まる穴がいくつもできて、尿がまた膀胱に戻ってきてしまうんです。それが感染症の原因にもなりました。


 とてもつらい時期はありました。股間の真下の手術だったので、カテーテルを挿入することができず、その後初めて小便をするときに非常に大きな痛みがあったんです。11歳か12歳くらいの時には、病院にはひとりで入院したんですが、看護師さんが前にダンっと立っていると、あああ,うん,自分の気持ちを伝えるなんてとてもじゃないけどできなかったですね。

ポール: 大人になってからは、このことはすべて過去のことにしておきたいと思ってたし、手術が終わって最終的なチェックも終わってた。でもやっぱり、10代になっていくつか問題は感じてたことがある。排尿の時に完全に排尿していなかったり、少し漏れてしまったりで。あまり気持ちの良いものではなかった。だから、問題点を隠そうとしたり、学校のシャワーや裸になるような場面で自分の性器が見えるときとかは自意識過剰になってたね。


 頭の中がそれだけでいっぱいになって、「ああ,ダメだ,ダメだ,ダメだ。誰にも見せられない」って思って、シャワーは逃げるようにすぐに終わらせてたんだ。学校にある共同シャワールームなんてひどいもので,ずっと気になって,タオルを昔の彫像みたいに巻いて体を乾かすのがすごく上手になってたよ。
 

Image by Matheus Ferrero
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妻と出会ったのは24歳の時。

ジェームズ:思春期の間は、何が普通なのか、何が普通として分類されているのかって、他の男子のペニスを見ようともしていました。「普通」というものがないってことは知ってます。でも,小便器の前に立って普通におしっこができるっていうのは、どんな感じなのだろうとずっと思ってました。それにもちろん、なにか自分は違うんじゃないかという心配は常にありました。でも、僕にとっては、トイレの時,相手のはどんなふうなんだろうと見ちゃうと、相手も僕のを見てきますから、大きさとか形とかいろいろなことで、恥ずかしくなることでした。


 学校は男子校でしたが、他の男子とは違うと感じていたので、小便器を使うことはありませんでした。スポーツするのも嫌でした。例えば、サッカーやラグビーの後にシャワーに入るのがイヤだったんです。シャワーを浴びるよりも、汚れたままでもいいからそのまま家に帰りたいと思っていました。
 

 一度だけ女の子と付き合ったことがあるんですけど、性的な話が出てきたらすぐに関係を終わらせました。それ以上の関係にはなりませんでした。その時は、なぜそういうことになってしまうのか自分でも分かりませんでしたが,その年頃の僕には、「あそこが小さくて、そんなこともできないんだ」と女の子たちに思われるんじゃないか,言いふらされるんじゃないかと怖かったんだと思います。
 

 妻と出会ったのは24歳の時。数年間つきあっていましたが、その間はやっぱり性的な接触はありませんでした。彼女もそういうことをを押し付けたくないようだったので。1993年ですが,僕が完全に心折れてしまって(たぶん骨粗鬆症や父の死が原因だと思います),その後僕に起きたこと、それでどうしてきたのかということを彼女に話すことができたんです。彼女は僕のそばにいてくれて、僕を支えてくれて…。僕がまた手術を受けようと思ったのも彼女のおかげです。
 

手術について

ポール: 僕は今では、乳児期の手術は全く成功ではなかったと思ってる。結局,尿道に問題を抱えることになったから。憩室と呼ばれるものができてしまって、これは尿道管が真っ直ぐではなく、元々の尿道の開口部があったところに袋状になっているもの。なので、尿路感染症やらなんやら、あらゆる種類の問題が発生したんだ。

 僕は長い間医療専門家を避けてたけど、尿路感染症にかかるようになって。最初の大きな尿路感染症は20代後半の時。とてもひどかった。剃刀の刃に小便をしているような感じで、高熱が出て、本当にひどかった。


 それで家庭医に行ったんだけど,彼はとても嫌な顔をして,僕が性感染症にかかっているのではないかと、抗生物質を処方されただけで、真剣に受け止めようとはしなかった。僕のペニスを見て、わざとらしく咳払いしたりして…。
 

 40代になってからは、本当にひどい尿路結核を何度も発症した。その頃には尿道の問題がひどくなっていて、正常な排尿ができなくなっていたので、尿が大量に滞っていて、それが感染症の原因になってたんだと思う。
 

 その頃には医療関係者も少しは理解を深めていたと思うんだけど、医師からは「なるほど。で,尿道下裂とはどんなものなかの教えて下さい」と言われて。僕は「ああ、神様。なんで俺が説明しなくちゃいけないんだ!」と思ったけど,その時の医師は「なるほど。確かにこの症状はそれに関連したものですね。とにかくどうにかしましょう」と言ってくれて。それで手術の予約を入れたんだ。


ジェームズ:男性向けの健康雑誌を読んでいたんですが、その中に尿道下裂のサポートグループの話が載っていたので、連絡してみました。実際は子ども向けの尿道下裂のサポートグループだったんですが、息子さんが手術を受けている女性を紹介してくれて、その女性が専門医を紹介してくれたんです。


ポール:僕が最終的に受けた手術は、口の中の組織、頬粘膜を使った二段階の尿道形成術だった。


ジェームズ: 医師はペニスの上から尿道を開いて、尿道の下から股間の下まで、奥に向かって、完全に開く手術をしました。


ポール:尿道を元々開いていたところまで開くということ。口の中の組織を移植するんだけど、これは尿道の組織に似ていて、治りが良く、この手術に適してるんだ。


ジェームス:今のお医者さんが憩室の袋を矯正しました。その後、彼も頬粘膜(口の中の皮膚を移植したもの)を使用して、新しい尿道と他の部分も再構築しました。
 

ポール: 移植を受けた後は、最低でも半年は待たなければならないと思うけど、僕は1年待った。
 

ジェームズ:それから半年間は、女性のようにしぶきが飛び散って、座っておしっこをしなければならない時期がありました。
 

 自分のペニスを見て、それがどんなふうになってるのか見るのは、とても,とてもつらかったです。子どもの頃に戻ったような思いになりました。


 でも、2回目の手術で、ペニスの上部まで縫合して、ペニスの先端にちゃんと出口が作られたんです。

ポール:手術が終わって、本当素晴らしい気分になった。手術が終わるまで、自分が今までどんな気分で生きてきたのか気づかなかったんです。「20歳若返ったような気がする!」みたいな感じで。 最高だった。


ジェームス: 病院で他の人が言ってました。「ビーチに行って砂浜に立って,自分の名前を砂におしっこできるなんて最高だ!」って(笑)。
 

Image by Calvin Shelwell
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ウィルフ・スティーブンソンさん(イギリス尿道下裂財団理事:元英国上議員議員)

他の人との関係というのは,自分の体全体、自分の在り方、手足全部、身体構造のあらゆる部分、その人が何者であるかという全体の像が重要だということなのです。

ナレーター: 尿道下裂の人たちが直面している大きな問題の一つは、情報やサポート、アドバイスへのアクセスです。


ウィルフ: 私はウィルフ・スティーブンソンです。「イギリス尿道下裂財団」の理事をしています。
 

 私は自分が違うということを幼い頃から知っていました。兄弟や他の人のと自分のとを比べて、鏡で自分のを見ても同じようには見えなかったから。そういう意味でです。でも、実際にその状態がどういうものなのかは30代半ばになるまでわかりませんでした。
 

 私の体のその部分を検査しなければならなかった医者が、「ああ、あなたは尿道下裂ですね」と、なんとなくで言ったんです。それで私は「それは何ですか?」って。

ナレーター:インターネットのフォーラムは、ウィルフさんに,男性が自分の状態について匿名でチャットできる機会を提供してくれました。


ウィルフ:自分の状態について少しずつ理解し、それが何であるかをかなり広範囲に調べて知ることができました。もちろん、知識が得られるようになったのは、インターネットが大きかったです。まず第一に、ウェブ上にはたくさんの情報があって、情報を読んだり見たり、写真も見ることができます。それに、私はひとりではないと発見しました。多くの人がこういう状態をもっているというのは,それはそれでつらいことですが、自分だけではないということがわかれば、尿道下裂の男性にとっては大きな安心感になります。孤立感や他の男性との違いを強く感じていましたから、自分は一人ではないということを知ったときの安堵感はとても大きいのです。


ポール:僕は他に尿道下裂の人を知らなかったから、尿道下裂について誰とも話すことができなかった。その言葉を口にすることさえ難しかった。パートナーと話すのもほとんど不可能だったなあ…。インターネットで他の人とつながるまでは、本当誰とも話せなかったよ。

 

 ヤフーとかいろいろなプラットフォーム上のグループがあった。 ヤフーのグループは多分最初のもので、本当に広範囲な話がされてた。 ヤフーのグループは本当に多くの男性と知り合いになって、みんなでいろいろ話ができたんだ。その経験は,ゲイの人がカミングアウトするようなほどの経験だった。

 

 カウンセラーにも会ってきたし,良い医療を受けてきたけど、同じ経験をした人と自分の経験を共有して、笑ったり泣いたりして、自分の胸の内を全部吐き出すことができるのは、これ以上のものはない。そして、一度それができれば、それはそれで満足できる。まあ、つらさが完全になくなるわけじゃないけど、同じ体の状態の人と会えるっていうのは大きな違いになるんだ。


ウィルフ:私たちが伝えようとしているのは、イギリス尿道下裂財団の考え方です。それはつまり,他の人との関係は、ペニスの形だけで決まるものではないということ。他の人との関係というのは,自分の体全体、自分の在り方、手足全部、身体構造のあらゆる部分、その人が何者であるかという全体の像が重要だということなのです。  

ポール:今は検索すれば、ピアサポートのようなものがきっと見つかると思う。この疾患の人には、一歩を踏み出して、つながりを持つことをお勧めします。


ジェームス:もし僕が手術の第一段階が終わったばかりだったら、自分にこう言うと思います。「今どんな状態であろうと、それはお前を定義するものではない。尿道下裂はお前の一部ではあるけど、それはお前じゃない。尿道下裂なんてたったひとつの部分に自分の人生を決められてはいけない。自分の人生をつくるのはあくまで自分なのだから」と。
 

正確な知識の普及と、違いを認め合える社会を!

現在欧米では、尿道下裂の状態で生まれた男の子・男性たちが辛い思いをしないよう、医療での支援体制や、サポートグループが整備されています。辛い思いも嫌な思いもみんなで共有して、活き活きと人生を生きていらっしゃいます。

尿道下裂を持つ男の子・男性とその家族のためのサポートグループ

尿道下裂を持つ男性たち

尿道下裂を持つ男の子たちとそのきょうだい・家族の皆さん

軽度尿道下裂で生まれたスティーヴンソン上院議員(イギリス)

軽度尿道下裂で生まれたスティーヴンソン上院議員(イギリス)

尿道下裂サポートグループ大会の様子

尿道下裂を持つ男性たち

尿道下裂を持つ男性たち

重度尿道下裂で生まれたウィリーさん

重度尿道下裂で生まれたウィリーさん

尿道下裂の状態で生まれた男性たち

尿道下裂を持つ男性と、支援者の医療人類学者アリス・ドレガーさん

 DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「男か女か曖昧な人」「両方合わせ持った人」「男でも女でもない性」「第三の性別」などを差す概念ではありません。また、体の性の発達状態は、性別同一性・性的指向とも関係はありません。尿道下裂の状態で生まれた男の子は全くの男性です。

DSDsを持つ男性たちの物語
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