現代の奇人変人ショー
The Modern Minstrels Show
ジムさん
(インターセックスの体の状態で生まれた男性)
インターセックスの体の状態を持つ「現実の人々」は、誰かのマンガの男女の境界的存在のようなイメージでも、板挟みの天使でも、見世物でも空想の産物でもこの世の悲劇でもないし、「男でも女でもない性の理想」に耽溺されるために生きているのでもない。
現在欧米では、DSDs(様々な体の性の発達:インターセックスの体の状態)を持つ人びとが、自分自身の顔を公表し、自分自身の物語・声を発信されています。
もちろん、誰でも自分の顔を公表するべきだ、話をするべきだということになってはいけません。ですが、ではなぜ、欧米のDSDsを持つ人びとや家族の皆さんは積極的に自分自身の実際の顔と話を公表するようになってるのでしょう?
実はそこには複雑な事情があります。
このポートレイトは、インターセックスの体の状態を持つ男性、ジムさんが、インターセックスの体の状態についてのエッセイとともに、LGBTQ系のネットメディアに載せてもらうようにと送った、ジムさん自身と、同じDSDsのひとつであるCAIS(完全型アンドロゲン不応症)を持つ女性イーデンさんの写真です。(仲の良いただの男性と女性です)。
ですが、このふたりの「現実の人」のポートレイトは、そのサイトでは使われることがありませんでした。一体何が起きたのでしょう?
DSDs(インターセックスの体の状態)を持つ人びとへのステレオタイプなイメージ・物語は、一見政治的な正しさを装いながらも、実は現代でも19世紀の大昔と全く変わらないことを、ジムさんの体験は示しています。悪いのは当事者ではありません。いつも自分が見たいものだけを見る「観客」の問題なのです。
(ジムさんやイーデンさんのような、欧米のDSDsを持つ活動家の人々が、なぜ「Disorders of sex development」という用語を使わず、「インターセックス」という用語を使っているのか?これにはいくつかの理由がありますが、ひとつは、本人の同意のない手術の禁止を求めるため(女性か男性かの性別判定の禁止ではありません)なのですが,さらには,DSDsという用語を使うと、欧米のLGBTQ等性的マイノリティのみなさんが一切耳を傾けてくれないからという理由もあります。日本では考えられないような話ですが、それぞれの国の事情というものもあるのです)。
Eric Rofesの『私は自ら死を選んだ人々を想う:レズビアン・ゲイと自殺』を読んだのは、まだ大学に入ったばかりの頃だった。本のタイトルはジョージ王5世(第一次世界大戦前のイギリスの王)が、友人に同性愛者がいると話した後に言った言葉から取られている。
当時、1994年と言えば、クィア(訳者注:欧米でのLGBT等性的マイノリティの人々を指す用語)の人々はまだ周縁の存在だった。その時僕は17歳。同じような話をいくつか耳にはしていた。
それから20年。レズビアンやゲイの人々が、マスコミや映画、文学の世界で、正確な自分自身のポートレイトを示すことで不可視化を拒否し、それによって自分たち自身の姿の可視化と解放運動の機会をもたらしたことは、皆が知ってるところだろう。
自分の存在を探す旅の物語
DSDを持つ男性の物語
DSDを持つお子さんの家族の物語
AISやスワイヤー症候群を持つ
女の子と女性の物語
MRKHを持つ女性のライフストーリー
2014年5月24日。僕が書いた記事『社会の頑なさと自然の解答』が、ネットサイトに発表された。モンタナでの反差別条例について書いた記事だ。
そのサイトの編集者が僕の紹介とタイトルを短くしたことは理解している。でも、写真をすり替えたことについては、政治的にも、その編集者のプロとしてのプライド的にも、人道的にも、受け入れがたいことだった。
元々僕たちがこのサイトに提供した写真は、僕自身とイーデン(インターセックスの体の状態を持つ現実の人々)の姿を写したものだった。しかし、この写真は無視されたのだ。
ジムさんとイーデンさんが送った、実際のふたりのポートレイト。
LGBTQ系ネットメディアで公表されたジムさんのエッセイ。ですが、写真は、ジムさんが送った、ジムさんとイーデンさんのポートレイトではなく、男女半々の写真に勝手に変えられてしまいました。
この三流の編集者は明らかに、インターセックスの体の状態を持つ人々をミンストレル(道化師)ショーの登場人物と見なすことを望んだのだろう。彼は知っていたのだ。この世には2種類の人間がいる。ショーの観客とエンターテナー。そして、正しいのはいつだって観客の方なのだという通念を。
男性半分・女性半分の「男でも女でもない存在」に扮したパフォーマーが演じるミンストレル(道化師)・ショーの広告。
このサイトで使われた写真が意味するところは、意図的な皮肉や社会的批評でもない。ただの貧弱な発想だ。
インターセックスの体の状態を持つ「現実の人々」(様々な体の性の構造で生まれた人々)は、誰かのマンガの男女の境界的存在のようなイメージでも、板挟みの天使でも、見世物でも空想の産物でもこの世の悲劇でもないし、「男でも女でもない性の理想」に耽溺されるために生きているのでもない。
インターセックスの体の状態を持つ人々の多くは、現実のつらい環境の中を生きていて、あなたが想像するような神話的イメージの存在では全くない。
男と女を半分ずつくっつけたようなこのイメージアートは、容易にインターセックスの体の状態を持つ人々に連想させる。結局こんな風に扱われるのだという、死よりもつらい運命をイメージさせるのだ。
僕は現在のこの日々を生きている。こういうイメージでインターセックスの体の状態を持つ人々を表すのは、人々の刺激と混乱を招き、ただデマを広げていくだけになってしまう。こういったことを続けていくならば、第一次世界大戦中のゲイやレズビアンの人々と全く同じく、様々な体の性の特徴を持って生まれた人々を不可視化させ、現実ではない空想ばかりを広げ続けるだけになるだろう。
可視化はもたらされるものではない。必要とされているものである。そして、勝ち取るべきものなのだ。
現在,LGBTQ等性的マイノリティの本当に多くのみなさんが,メディアやパレードなどで勇気を持って声を上げ,「性の多様性」ついての啓発も,とても重要なものになっています。
ですが,その中でDSDs(体の性の様々な発達:性分化疾患)を持つ人々で声を上げる人は,数えるほどしかいないことにはお気づきでしょうか?
社会では,今でも「両性具有」「中間」「男でも女でもない」などの,DSDsに対する偏見・誤解があり,それによって当事者家族の人々はますます自分自身のことやお子さんのことを隠さざるを得ず,個別に孤立した状況にもなっているのです。
実はLGBTQ等性的マイノリティのみなさんの中でも,DSDsに対する誤解が多く,「性の多様性」の授業で,DSDsへの誤解故に,不登校になってしまったお子さんもいらっしゃいます。
DSDs(体の性の様々な発達:性分化疾患)は,ここ20年の間で医学・生物学の知識も進歩し,また,ファンタジーではない現実のDSDsを持つ人々の実際の状況も明らかになっています。それは,これまで社会で言われていたこととは,かなり異なる状況でした。
そこで,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんや,「性の多様性」の講演・セミナーを行うみなさんが,DSDsについて触れる場合の注意点などをまとめたパンフレットを作成しました。
これまで言われていることとはかなり違っていて,戸惑う方も多いかもしれません。ですが,DSDsは,その人の「性器」という極めて私的でデリケートな領域に関わるもので,そこへの不正確な侵害は,当事者・子ども・家族のみなさんの人生や生活をおびやかしかねません。どうか,自分と異なる「他者」を尊重する,みなさんのプライドを示していただきたいと願います!