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ターナー症候群のある女性たちの物語(4)



書くことは私の最大の情熱

ヘイリー・クリストさんの物語

 こんにちは!私の名前はヘイリーです。これは私のターナー症候群(TS)のストーリーです!

 こうして皆さんとシェアできることをとても感謝しています。そして、この物語が、同じような道を歩んでいる方々にとって、希望の光となり、「あなたは一人ではない」「希望はいつもある」ということを思い出すきっかけになればと願っています。

 私は16歳のときに正式にターナー症候群と診断されました。幼い頃、友達や同年代の子たちと比べて何かが遅れていると感じることがありましたが、その理由をはっきりと説明することはできませんでした。思春期になると、その違和感はさらに大きくなりました。そこで、私たちは何か答えを見つけようと決意しました。

 医師の診察を受けた後、ホルモンの数値を調べるために血液検査を受けることになりました。腕から赤い液体が抜き取られていくのを見ながら、心の準備をしました。当初は、ホルモンの一つが少し低いだけかもしれないと思っていました。しかし、検査結果は想像以上に衝撃的なものでした。私の体には、まったくホルモンが存在していなかったのです。その結果、子宮や卵巣が発達していない可能性が高いと言われました。

 私は、体が本来作り出すはずのホルモンを補うために、エストロゲン補充療法を始めました。気がつけば、そのルーティンにもすっかり慣れていました。次のステップとして、確認のために腹部超音波検査を受けました。冷たいジェルが肌に触れ、プローブが当てられた感触を今でも鮮明に覚えています。黒くぼやけた画面を見つめながら、私は混乱しました。

「どうして? こんなことが…?」

 医師が部屋に戻ってきたとき、私は人生で最も衝撃的な知らせを受けました。16歳の時点で、「将来自分の子どもを持つことはできない」と告げられたのです。その言葉を聞いたとき、私は絶望し、打ちのめされました。しかし同時に、その現実を受け入れるまでには時間がかかり、しばらくの間は感情が麻痺しているようにも感じました。私はまだ若く、家族を持つことについて深く考えたことはありませんでした。しかし、私の家族像がほかの人とは違う形になる可能性があるとは思ってもみませんでした。

 私は幼い頃からずっと養子縁組に強く惹かれていましたが、その理由をはっきりと説明することはできませんでした。愛情に満ちた家庭で育ったことに深く感謝しているからこそ、そういった環境に恵まれない子どもたちのことを考えると、胸が痛みました。後になって、これこそが神様の計画なのかもしれないと気づきました。

 超音波検査の後、私はさらに詳しい血液検査(核型検査)を受け、染色体の分析を行いました。その結果、正式にターナー症候群と診断されました。

 ようやく答えが見つかったことで、私はいくつかの専門医を紹介されました。成長ホルモンの専門医と相談しましたが、私はすでに身長が約152cm(5フィート)あったため、成長ホルモン治療は最適ではないと判断されました。また、腎臓の超音波検査も行いましたが、こちらは異常なしでした! さらに、3年ごとに心電図(EKG)と心エコー検査を受け、心臓に問題がないかをチェックしています。

 でも、ここで奇跡が起こったのです! 私は、妊娠の可能性はほぼゼロだと理解していましたが、その後、もう一度腹部超音波検査を受けました。その前に、お腹に手を当てて、奇跡を祈ったことを覚えています。そして、プローブが再び肌に触れたとき、まさに奇跡が起こったのです! 私の体には、健康で完全に発達した子宮があったのです! 神様は本当に素晴らしい! その後、私はプロゲステロンというホルモン療法を開始し、生理を起こす治療を始めました。

 診断後しばらくの間、日常生活は大きく変わることなく続いていました。幼い頃、私は慢性的な中耳炎や副鼻腔炎によくかかっていました。再発を防ぐために、耳にチューブを入れる手術を受けたことを覚えています。後に、中耳炎の繰り返しはターナー症候群の一般的な兆候の一つであることがわかりました。残念ながら、今でも副鼻腔炎には悩まされています。

 昨年の8月、私はしばらく体調を崩し、珍しいタイプの肺炎と診断され、数日間入院しました。ターナー症候群と関係があるのか確かではありませんが、医療チームが「ターナー症候群とは何か?」と何度も質問してきたことで、この病気があまり知られていないことを実感しました。しかし、祈りと休養、そして強力な抗生物質のおかげで、私はすぐに回復しました!

 私は、ターナー症候群がそれぞれの体に異なる影響を与え、すべての「バタフライ(TSの象徴)」が美しくユニークであることを学びました。確かに、私にとって難しいこともありますが、それでもTSが私の夢を阻むものにはしたくありません! 例えば、運転は私にとって他の人よりも難しく感じますが、辛抱強く練習を続けた結果、大きく成長しました!

 家族はずっとボウリングを楽しんでいましたが、私はなかなかうまくなれませんでした。後に、私は4本目の指の下に短い骨があることが判明しました。そのため、ボウリングのような強いグリップ力が必要なスポーツは、少し不快に感じることがあります。

 でも、私の最大の情熱は、いつも「書くこと」でした。言葉でうまく表現できないことも、文章なら自由に表現できます。2021年の夏、高校卒業後すぐに、私は初めての本を自費出版しました! TSについて知ったとき、この物語を共有し、他の人々に希望を与えたいという強い思いを抱きました。そして2024年2月、「The Butterfly Within」という個人ブログを開始し、10月に正式に公開しました!

 このブログを通じて、私はターナー症候群との旅を深く綴っています。私の物語が、どんな困難があっても人生を精一杯生きられることの証明となることを願っています! これが私のストーリーです。時には困難なこともありますが、私はこの旅の続きが楽しみです! 読んでくださって、本当にありがとうございました!



特別支援教育こそが私の道

エミリー・ジャクソンさんの物語


 多くの人と同じように、私は生まれる前にターナー症候群(TS)と診断されました。当時、両親は医師から最悪のシナリオに備えるようにと、多くの「恐ろしい話」を聞かされたそうです。その中には、先天性心疾患やリンパ浮腫といった、今も私の人生の一部であるものもありました。しかし、医師たちが予想していた多くのことは、実際には私には当てはまりませんでした。

 幸運なことに、私は子どもの頃から「普通」であると感じて過ごすことができました。もちろん、私はずっと背が低かったですが(現在22歳で身長は約152センチ)、それはターナー症候群によるものだと理解していましたし、それほど大きな問題ではありませんでした。

 私は成長ホルモンの注射を受けながら育ち、思春期に入るとホルモン補充療法とバランスを取りながら生活するようになりました(現在も続けています)。また、中学・高校生の頃には、ターナー症候群のティーンや若者向けの週末キャンプに参加し、生涯の友人たちと出会うことができました。

 高校に入ると、将来の人生をどう描くかを考え始める必要が出てきます。家族とたくさん話し合い、じっくり考えた結果、私は特別支援教育の教師になることを決めました。それまでは教師という職業を真剣に考えたことはありませんでしたが、学ぶうちにその仕事の魅力を知り、次第に「これこそが私の進むべき道だ」と確信するようになったのです。

 これまで何度か、「なぜ自分はこうなのか?」と悩んだことがありました。神様はなぜ私をこのように造られたのか? なぜ、ターナー症候群を持って生まれた赤ちゃんの中で、私だけがこうして人生を歩む機会を与えられたのか?

 でも、障害を持つ人々や教育について学ぶにつれ、私はその答えを見出しました。神様は、私が謙虚な気持ちで、私とそう変わらない子どもたちに寄り添い、愛を持って支援するために、このように造られたのだと信じるようになったのです。私は特別支援教育を受けずに育ちましたが、もし少し状況が違っていたら、私自身が今、私が学んでいる支援を必要としていたかもしれません。

 この春、大学を卒業する準備を進めています(優等で卒業予定です!)。でも、これから踏み出す公立教育の世界は、多くの問題を抱えた現場です。そして、私は特に、学校の中でも最も困難な状況にある生徒たちと向き合うことを選びました。けれど、ターナー症候群を持つ女性たちは、決して簡単に諦めるタイプではありません。

 この仕事が簡単なものではないことは分かっていますが、それでも、私のストーリーを活かして生徒たちとつながることができる日々が待ち遠しいです。今はまだ見えなくても、神様はすべてに意味を持たせておられると信じています。私たちがどのように造られたのかも、そこには必ず目的があるのです。



ターナー症候群と非言語性学習障害を持つ人の運転学習の課題

ベッキー・ブラウンさんの物語

 運転を学ぶことは、人生において大きな節目であり、自立や新たな可能性をもたらします。でも、ターナー症候群(TS)や非言語性学習障害(NLD)を持つ人にとって、このプロセスは独特の課題を伴うことがあります。ターナー症候群は女性に影響を与える遺伝的な状態であり、空間認識、運動協調、実行機能の困難を引き起こすことがよくあります。さらに、TSと併存することが多いNLDは、視空間認識、問題解決、新しい環境への適応に影響を与えます。これらの要因により、運転を学ぶことは複雑になりますが、不可能ではありません。

空間認識と運動協調の困難

 運転には、距離の把握、速度の判断、車線内での車の位置調整など、強い空間認識能力が求められます。でも、TSやNLDを持つ人はこれらのスキルに苦労することが多く、車間距離を適切に判断したり、正確に曲がったり、駐車をスムーズに行うことが難しい場合があります。さらに、細かい運動や大きな運動の協調がうまくいかないことで、ハンドル操作やブレーキ、スムーズな運転動作の切り替えに影響が出ることもあります。

マルチタスクと実行機能の課題

 運転は、同時に複数の情報を処理する必要がある認知的に負担の大きい作業です。でも、TSやNLDを持つ人は、例えば道路標識を見ながら交通状況を把握し、車の操作を行うといったマルチタスクに苦労することがあります。さらに、実行機能の課題により、ルートを計画したり、突然の迂回路に対応したり、複雑な交通状況の中で整理して行動することが難しくなることもあります。

不安と処理速度の遅れ

 TSを持つ多くの人は強い不安を感じることがあり、特に渋滞や予期せぬ道路状況などのストレスがかかる状況ではその不安がより強くなることがあります。さらに、NLDの特徴である処理速度の遅れにより、突然の変化への対応(例えば、歩行者が急に道路に出てくる、前の車が急ブレーキをかけるなど)が難しくなることがあります。この反応の遅れは、運転中の緊張や迷いにつながるかもしれません。

新しい環境への適応

 NLDを持つ人は、柔軟性に欠けることがあり、新しい環境への適応が難しいことがあります。運転においては、新しいルートを覚えたり、慣れない交通パターンに適応したりすることがストレスになるかもしれません。そのため、直感的に道路標識やGPSの指示に従うよりも、記憶したルートに強く依存する傾向があります。

成功への戦略

 これらの課題が運転を学ぶ上でのハードルになることはありますが、それでも適切な戦略とサポートがあれば、安全に運転するためのスキルを身につけることは可能です。

1. プロの運転指導を受ける

  • 学習障害を理解し、忍耐強く指導できるインストラクターと練習する。

  • 集団レッスンではなく個別レッスンを選び、プレッシャーを減らす。

  • ゆっくりと段階的に学べる適応型運転プログラムを検討する。

2. スキルを段階的に習得する

  • 駐車や高速道路への合流など、個別のスキルを練習し、それを組み合わせて総合的な運転スキルを身につける。

  • 運転ルールを強化するために、色分けした図やチェックリストを活用する。

  • ドライブレコーダーの映像を見返し、ミスや改善点を確認する。

3. ストレスの少ない環境で始める

  • まずは空いている駐車場で練習し、次に静かな住宅街へと段階的に進める。

  • 交通量の少ない時間帯に練習し、混雑した状況を避ける。

  • 少しずつ複雑な環境(高速道路や交差点の多い場所)に挑戦する。

4. 支援技術を活用する

  • 音声案内付きのGPSを使ってナビゲーションをサポートする。

  • バックカメラや死角モニターを活用し、空間認識を補う。

  • スマホの運転計画アプリを使い、ルートや時間管理を助ける。

5. 自信をつけるための工夫

  • 深呼吸やリラクゼーション技法を運転前や運転中に取り入れる。

  • 徐々に難易度を上げることで、少しずつ自信をつけていく。

  • 運転に対する不安が強い場合は、運転コーチやカウンセラーと一緒に対策を考える。

代替の移動手段

もしも自分だけでの運転が難しい場合でも、移動手段を確保する方法はいくつかあります。

  • 公共交通機関の利用:バスや電車、ライドシェアの利用方法を学ぶ。

  • 友人や家族とのカープール:定期的な移動を支援してもらう。

  • 自転車やスクーターの活用:短距離の移動にはこれらの手段を使う。

まとめ

 ターナー症候群や非言語性学習障害を持つ人にとって、運転を学ぶことは確かに挑戦的な目標かもしれません。でも、適応戦略を取り入れ、焦らず段階的に練習し、適切なサポートを受けることで、運転の自立は十分に可能です。どんなに小さな一歩であっても、それは自立と自信に向かう大きな進歩なのです。



何だってできる!

リリアン・モフェットさんの物語


 こんにちは、リリアンです!私は24歳で、ターナー症候群(TS)を持っています。私の旅は8歳のときに始まりました。たくさんの検査や診察を経て、ようやく両親と私は、なぜ私の成長が普通と違い、平均よりも小柄なのかの答えを知ることができました。それがターナー症候群の診断でした。この診断によりホッとした部分もありましたが、それと同時に多くの困難も伴いました。

 身長(今は142cm)や笑顔のことでいじめられたり、8年間毎晩成長ホルモンの注射を打たなければならなかったり、13歳でセリアック病と診断されたり、不安やうつに苦しんだり……いろいろありました。

 振り返ってみると、診断を受けたばかりの小さな自分に伝えたいことが2つあります。

まず1つ目は、「何だってできる!」ということ! 私は2022年に人間サービス学の学士号を取得して大学を卒業し、今ではシェルターアドボケート(避難所支援員)として約2年間働いています!

 2つ目は、「診断はあなたの一部でしかない!」ということ。確かに私はターナー症候群を持っています。でも、それだけが私ではありません!私はただの普通の猫好きで、創作活動(特に絵を描いたり、色を塗ったりすること)が大好きな人間です!それに、コンサートに行くのも、ロックやオルタナティブミュージックを聴くのも大好きです!

 同じバタフライ(TSを持つ仲間たち)へ——あなたがバタフライの親御さんでも、当事者でも、私から伝えたいメッセージは「どんな困難があっても、何だってできる!」ということ、そして「診断はあなたの一部にすぎない!」ということです。

 どうか元気でいてください。そして、私のストーリーを読んでくれてありがとう!



IEP(個別教育計画)のことなら私にお任せ!

サラ・シュナイダーウェントさんの物語


 私のターナー症候群(TS)との旅は、生まれた瞬間から始まりました。すぐに診断され、生後6週間で大動脈弁狭窄症のため初めての心臓手術を受けました。小学生の頃は成長ホルモン療法を行い、最終的に157cmまで成長しました。そして努力の末、高校を1年早く卒業しました。私は学ぶことが大好きです。

 コミュニティカレッジに進学し、準学士号を取得。大動脈弁の置換手術を受けながらも、予定通り卒業しました。その後、大学へ進み、教職の学士号と修士号を取得しました。

 初めて教壇に立った年、心房細動を発症し、とても怖い思いをしましたが、それでも前に進み続けました。中等度から重度の特別支援教育の教師として10年間勤めた後、再び大学に戻り、学校管理の修士号を取得。そしてすぐに採用され、現在は特別支援教育コーディネーターとして働いています。

 IEP(個別教育計画)についての質問があれば、ぜひ私に聞いてください!

 ターナー症候群は、私の人生にさまざまな影響を与えてきました。現在41歳、未婚で子どももいませんが、他の面でたくさんの喜びを見つけています。趣味(裁縫やかぎ編み)を楽しみ、家族やペットを大切にし、毎日「今日を良い日にしよう」という思いで目を覚まします。私は、私らしく生きています。

 最近、心房細動が再発し、大きな不安を感じました。でも、前に進むしかありません。同じような経験をしている女性たちともっとつながりたいと思っています。もし私のストーリーが誰かの役に立つなら、それだけでとてもうれしいです。



やりたいことは、どんな状況でも挑戦しよう!

レイアナ・ワイルダーさんの物語

 私は12歳の頃、側弯症と診断されました。そして、それは手術で矯正しなければならないほど深刻なものでした。その手術の準備を進める中で、母と私はモザイク型ターナー症候群(TS)であることを知りました。新しい診断、病院通い、たくさんの情報――それらに適応するのは簡単ではありませんでした。

 そんな中、母はずっと私を支えてくれました。学校生活、病院での診察、次々と現れる症状……どんな時もそばにいてくれました。何より、私が「周りのみんなと変わらない」と思えるようにしてくれたことが、とても嬉しかったです。

 今、私は25歳になり、歌やアート、教えることなど、自分の大好きなことに夢中で取り組んでいます。もちろん、道のりは決して平坦ではありませんでした。でも、私は今、自分らしく生きています。

 もし、あなたが「自分は他の人と違う」と感じたり、つらい時期を過ごしていたりしても、大丈夫。あなたの好きなことをやってください。そして、それに向かって進んでください。どんな状況であっても、挑戦する価値はあります!




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海外国家機関DSDs調査報告書

ベルギー国家機関性分化疾患/インターセックス調査報告書
オランダ社会文化計画局「インターセックスの状態・性分化疾患と共に生きる」表紙

 近年、教育現場や地方・国レベルで、LGBTQ等性的マイノリティの人々についての啓発が行われるようになっています。その中で,DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)が取り上げられるようになっていますが、昔の「男でも女でもない」という偏見誤解DSDについての知識が不十分なまま進められている現状があります。

 そんな中,人権施策や性教育先進国のオランダとベルギーの国家機関が,DSDsを持つ人々とご家族の皆さんの実態調査を行い報告書を出版しました。

 どちらもDSDsを持つ人々への綿密なインタビューや、世界中の患者団体、多くの調査研究からの情報などを総合し、誤解や偏見・無理解の多いDSDsについて、極めて客観的で当事者中心となった報告書になっています。世界でもこのような調査を行った国はこの2カ国だけで,どちらの報告とも,DSDsを持つ人々に対する「男でも女でもない」というイメージこそが偏見であることを指摘しています。

 ネクスDSDジャパンでは,この両報告書の日本語翻訳を行いました。

DSDs総合論考

 大変残念ながら,大学の先生方でもDSDsに対する「男でも女でもない」「グラデーション」などの誤解や偏見が大きい状況です。

 

 ですが,とてもありがたいことに,ジェンダー法学会の先生方にお声がけをいただき,『ジェンダー法研究7号』にDSDsについての論考を寄稿させていただきました(ヨヘイル著「DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患/インターセックス) 排除と見世物小屋の分裂」)。

 今回,信山社様と編集委員の先生方のご許可をいただき,この拙論をブログにアップさせていただきました。

 DSDsの医学的知見は大きく進展し,当事者の人々の実態も明らかになってきています。ぜひ大学の先生方も,DSDsと当事者の人々に対する知見のアップデートをお願いいたします。

 

 (当事者・家族の皆さんにはつらい記述があります)。

ジェンダー法研究:性分化疾患/インターセックス総合論考
ジェンダー法研究:性分化疾患/インターセックス総合論考
性分化疾患YouTubeサイト(インターセックス)
ネクスDSDジャパン:日本性分化疾患患者家族会連絡会
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