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「僕はファイター」ジャックの物語:NIPTで息子さんのクラインフェルター症候群が判明した家族の物語



 私たちの息子、ジャック・ライアンは、2018年6月に体重4.1 kgで生まれました。ふさふさしたきれいな髪と、透き通るような青い目、それにとても愛らしい唇を持っていました。生まれたてのジャックのしぐさの愛らしかったこと。もう、パーフェクトに見えました。彼をひと目見れば、おわかりいただけると思います。早いもので、ジャックは生後7ヶ月になります。夫のマットと私がジャックを連れて出かけると、いつも見知らぬ方々がジャックのことを口々にほめてくださるので、足を止めないわけにはいきません。こんなに可愛らしい赤ちゃんを授かって、私たちは本当に恵まれています。毎日の暮らしに言葉にできないほどの喜びをもたらしてくれました。ですが、ジャックが生まれてくる前は、親としてのこうした喜びを経験できないのではないかと思ったことが何度かありました。


 2017年10月の終わり、私たちは思いがけず、妊娠検査が陽性になったことを知りました。私が1型糖尿病の仲間たちと出ることに決めていたニューヨークシティ・マラソンが、数日後に迫っていました。当時は知る由もありませんでしたが、私はその後、ジャックとともにさまざまな困難を乗り越えていくことになります。その最初の出来事が、妊娠5.5週の時期に、お腹の中のジャックと一緒にマラソンを走ることだったのです。マラソンは大変でしたが、私たちは無事にゴールできました。今にして思えば、あのようなレースを走ることは、どこかジャックの人生に似ている気がします。与えられたさまざまな状況で、困難に耐え、それを克服しながら、いつも笑顔を絶やさない──彼の人生は始まりからそうだったのです。マラソンの日の夜、マットと私は飛行機にとび乗ってロサンゼルスに戻り、翌朝、初めて超音波検査を受けました。ジャックの小さな心音を聞き、動く姿を目にしたとき、私たちは喜びのあまり涙を流しました。それから超音波検査を受けるたびに、もうすぐ親になるのだという実感が高まっていきました。


 私には1型糖尿病がありますから、妊娠は「高リスク」と判断されました。幸いなことに妊娠期間中からずっと、信じられないほど知識が豊富で協力的な医師のチームに診ていただくことができました。1型糖尿病は母体と赤ちゃんの両方に危険があることがわかっています。ですがヘモグロビンA1c(血糖コントロールの状態を表す指標)の数値は正常でしたから、私は安心して妊娠期間を過ごすことができました。妊娠10週目頃、医師から新型出生前検査(NIPT)という遺伝子検査と、後頸部透過像スキャン(NTスキャン)という画像検査を受けるように勧められました。NIPTは染色体異常をスクリーニングする血液検査ですが、赤ちゃんの性別もわかるということです。とても楽しみでした! この頃、マットと私は、妊娠第1期が終わるクリスマスの頃に、妊娠のことを発表しようと計画していました。ここまでのところジャックは健康でしたから、私たちには感謝の気持ちしかありませんでした。

 クリスマスの数日前、私はNTスキャンを受けるためと性別を教えてもらうために、担当の産科(OB)医(高リスク妊婦専門医)を受診しました。心臓がドキドキしていました。マットは仕事を休めなかったので、私は待合室で緊張しながら、彼にメールを送りました。それから名前が呼ばれ、まず遺伝カウンセリング室に通されました。私は何週間も前から、赤ちゃんが男の子なのか女の子なのかを知る瞬間のことを思い描いていました。でも不意に悪い予感がしました──想像していたのとは明らかに様子が違っていたのです。

 遺伝カウンセラーの先生は単刀直入に話し出し、検査の結果、男の子にしかみられない染色体異常が陽性だったと言いました。まあ! 赤ちゃんは男の子です!


 ですが、こんな知らされ方だったのです。嬉しくて飛び跳ねたりする代わりに、私はその場に凍りついたように座っていました──不安、混乱、怒り、悲しみ、そして否定の気持ちが沸き起こり、麻痺したように動けませんでした。


 6年前に1型糖尿病と診断されたときの記憶が蘇りました。湧き上がる感情が、そっくりだったのです。


 カウンセラーの先生はとても専門的でありながら共感性の高い女性で、検査で陽性だった異常のことを説明してくれました。それはクラインフェルター症候群と言って、47,XXYとも呼ばれる状態でした。彼女は47,XXYの全体像をとても高度なレベルで説明し、私たち家族の遺伝的なことにも話が及びました。正直に言えば、右の耳から入って左の耳から出ていくような話でした。ただ、スクリーニング検査は確定診断ではないのだから、赤ちゃんが必ず47,XXYを持って生まれてくるとは限らないということはわかりました。実際にジャックが検査で陰性を示す可能性が70%くらいあったのです。そこで一つの選択肢として、47,XXYの診断を確認するために、より侵襲的な検査を受けることが提案されました。受けるなら羊水穿刺か絨毛生検(CVS)のどちらかということです。私はクラインフェルター症候群や47,XXYのことを聞いたこともありませんでしたから、頭の中が不安でいっぱいになり、このことが赤ちゃんの将来にどう影響するのかしらと悩みました。

 NTスキャンでは、成長途中の健康そうな男の子を見ることができました。NIPTの結果を知ったあとでしたから、少なくともいくらか元気づけられました。カウンセリング室を出るとき、私の気持ちは大きく揺れていて、ここで見聞きしたことは簡単に整理できるものではないと思いました。すぐにマットに電話しましたが、ふたりで泣いてしまうほど、つらい気持ちでした。私たちは元気な赤ちゃんを授かったことに感謝する一方で、その子に47,XXYという染色体異常があるかもしれないと思うと不安だったのです。わからないことだらけでしたから、その答えをひたすら探しました:


 こういうことはジャックの場合はどうなの? ジャックの健康への影響は? 彼をどんな風にケアすればいい? ジャックの状態は“正常”? 学校でいい成績がとれる? 子供を持てる? QOLはどうなるの?


 初めて親になるという経験は、神経をすり減らしてばかりになるかもしれません。自己免疫疾患を持つ人が初めて母親になるとすれば、もっと大変なことが多いでしょう。さらに今、その子は47,XXYで特別なニーズを持つ子かもしれないのです。私は男の子が生まれてくると知ってうきうきするのではなく、圧倒的に不安な気持ちになりました。自分が力を尽くしたところで、ジャックを育てられるのかと疑問に思うようになりました。マットと私はとことん調べ、祈り、医師たちと相談を重ねた末に、47,XXYの確定診断のための核型検査は、ジャックが生まれるまで待つことにしました。結果がどうであれ、私たちは100%妊娠を継続するつもりでしたから、侵襲的な検査を受けても決心は揺らがないと思ったのです。



 何日かが過ぎ、妊娠のことを周りに知らせ、性別を明かし、私のお腹がびっくりするほど大きくなるのを見守っているうちに、検査で受けた当初のショックは薄れていきました。幸いにも妊娠は順調でした(1型糖尿病があって、とても大変でしたが)。ふたりとも、ジャックが47,XXYを持っているかもしれないと、くよくよ思い悩むのではなく、ちょっと頭の片隅に置いておくくらいになりました。診断のことを想像して、ジャックを待つ喜びに影を差すようなことはしないと決めたのです。その日がくれば、なんとかなるでしょう。それまでの間、念のためクラインフェルター症候群──47,XXY──のことを学んでおくことにして、調べられるだけ調べ続けました。


 ストレスのかからない超音波検査を何十回か受け、血糖値を厳しく管理して、週3回の診察を受け続け、とうとう予定日が近づいてきました。妊娠39週の1日目、高リスク妊婦専門のOB医がジャックを早めに取り出すことを決め、私は予定帝王切開を受けました。その週の診察と診察の間に、羊水の量が急に増えて危険なレベルになっていました(1型糖尿病のため、そもそも羊水が多くなる羊水過多症という状態でした)。頻繁に診察を受けていたのは、羊水の量を測るためでした。ジャックは帝王切開で生まれました。その処置自体はとてもうまくいきましたが、順調だったのは看護師が縫合をするまででした。マットと私が手術室で、可愛い男の子を見つめて喜びに浸っていると、医療チームが走って戻ってきて、喜びはいきなりパニックに変わりました。私は出血し始めていて、かなりの量の血液を失いました。その間にジャックの呼吸が速く不規則になりました。医師たちは大慌てで止血の処置をしながら、マットとジャックを部屋から出すよう指示しました。幸いにも、医師たちのおかげで私の子宮は助かりました。2単位の輸血と、1週間の入院による集中治療を受け、私の健康状態は回復し、息子の世話ができる状態になりました。ジャックも新生児集中治療室(NICU)で1週間過ごしました。彼は一過性多呼吸(肺に水が残ってしまったために、呼吸が速くなっている状態)と肺炎などの感染症の治療を受けました。心の傷になりそうなこの分娩から、ジャックと私の両方が回復するまでは、気が動転してしまい、私たちは検査結果のことを気にする余裕がありませんでした。結果が出たのは2週間後のことです。出産の間は緊急的な状況でしたから、医師たちは核型検査用の検体を臍帯から採ることはせず、数日後、ジャックがNICUにいる間に採血しました。それで結果が出るのが遅れたのです。ようやくOB医から電話があって、結果が知らされました──。

 ジャックは、やはり47,XXY陽性で、クラインフェルター症候群でした。私たちにとって2回目の凍りつくような瞬間でした。それでも今回はその知らせを受け入れ、その後のことへの準備ができました。



 ジャックは生まれた瞬間にファイターになりました。私たちは47,XXYの診断のことで心を乱されはしませんでした。そのことはジャックの物語のほんの一部にすぎないとわかっていたからです。ジャックは大人になれば、一般の人がすることは何でもできるようになるでしょう。違いがあるとすれば、ジャックの場合は特別な困難があるかもしれないということだけです──つまり、何かをするためには、彼独自のやり方や取り組み方が必要かもしれません。でも私自身が慢性疾患を持ちながら暮らしていますから、ジャックの症候群を受け入れ、どうすれば困難に直面しても頑張り抜いていけるかを、彼に教えてあげる準備はできています。私は人生の中で、努力と経験を通して、ほかのみんなと同じように“何だって”できると学んできました。ただ、私の努力のレベルと、自分の健康を管理するための独自のやり方が違っているだけです。私は人より多くの要素を考慮に入れながら、自分の生活の質をできるだけ良くするために頑張ってきました。私が慢性疾患と診断されたのは、きっと息子に、経験と試行錯誤と逆境を通して私が培ってきた物の見方を教えてあげるためなのです。


 インターネットや時代遅れの研究報告に目をやると、47,XXYのネガティブな側面や不利なことばかりが出てきますが、マットと私はそういうものは気にせずに、慢性疾患を抱えて暮らしてきた私のやり方を活かしながらジャックを育てようということで、意見が一致しました。私が自分の病気を受け入れてきたのと同じようなやり方で、私たちはジャックの一番の味方として彼の背後に立ち、彼が最高の自分を見つけられるように背中を押してあげるつもりです。そのためには、確かに犠牲と努力が必要です。それでも、ジャックの笑顔で部屋中が明るくなるのを目にしたときや、彼がまたひとつ大切な節目を迎えたときに、“絶対”にその価値があるとわかります。7ヶ月が過ぎた今、非の打ちどころのない我が子を見るにつけ、この子がいなかったら私たちは一体どうなることかと思うのです。


 お子さんが47,XXYと診断される可能性がある、または確実だと聞かされたばかりのご両親、お母様、お父様方に、私たちから希望と勇気を送らせてください。私はここに書いたように、ジャックを産み、彼の成長と発達を見守る機会がもしなかったらと考えただけで、涙が流れます。マットも私も、神様がジャックを祝福し、喜びを与えてくださったと思っています。ジャックは行く先々で喜びを振りまくのです。私は遺伝カウンセリング室で未知の恐怖に圧倒され、耳慣れない事柄だらけの情報に打ちのめされた日のことを、今もよく覚えています。可愛いお子さんの47,XXYという診断を受け入れ、十分理解するまでには、確かに少し時間がかかるでしょう。私たちもまだ毎日学んでいます。それぞれのご家庭には独自のご経験があり、それぞれのご希望に沿ったやり方で、この旅の進み方をお選びになるとは思いますが、ここで少しだけ、大切な言葉をシェアさせてください:


頑張って学びましょう──知識は力です!

 ご自身で、できる限り調べましょう。インターネットで時代遅れの研究報告を見かけたら、用心しましょう。出版物はたいてい古くて不正確で、良くないことばかりを強調しています。知識は力です! 私たちはこの分野の学生になったつもりで、47,XXYについて知るべきことは何でも学んでいます。そうすることで、息子にとって一番いい判断ができるようになるからです。遺伝学の医師からは、さらに貴重なアドバイスもいただきました。調べることに夢中になりすぎて、息子さんの人生最初の1年を見逃さないで、という言葉です。ジャックは今のところ、ほかのお子さんたちと何も違わない普通の赤ちゃんです。こんなに若い私たちですが、親として、ジャックがどんな風に成長し、考え、学び、発育していくかを見守っているうちに、知識という恵みをいただきました。息子さんとご一緒に、この大切な時期を十分味わいながら、絶えず変化する研究報告や医学の進歩、それにこのコミュニティ内での知見からいつも情報を得るようにして、健全なバランスを見つけましょう。


医療チームを確保しましょう

 可能であれば、47,XXYのことを理解してくれる医療チームを確保しましょう。私たちはジャックが生後1ヶ月になるまでに、小児科、遺伝科、内分泌科の専門医に担当になっていただきました。ジャックのケアやニーズのことをこちらから教えたり主張したりしなければならない状況よりも、医師たちから教えていただく方が、新たな学びにつながります。私たちの経験からすると、内科総合医は、たいてい47,XXYのことをよくご存知ではありますが、ベストな助言やケアを示せるほどではありません。みなさんの息子さんは、ベストの中のベストの価値があるのです! チーム医療が何より大事です。


早期介入──先まわりしてやるか、何かあってからにするか


 私たちが何よりお勧めしたいのは、できるだけ早い時期に早期介入を始めることです! ジャックは生後8週で、作業セラピーと運動セラピーを毎週受けるようになりました。ちょうど今週は言語セラピーを始めたところです。セラピーは、運動能力、発達、筋肉の柔軟性、協調、授乳など、いろいろなことに欠かせません。セラピーを始めた頃、ジャックには1ヶ月くらいの遅れがありました。それでも今は発達が追いついて、大事な節目のいくつかはむしろ進んでいます! 簡単なことではありませんが、私たちは家庭でできるセラピーを行ったり、遊びの時間に取り入れたりして、ジャックをしっかりあと押ししています。週1回の水泳教室にも参加しています。ジャックは、やる気満々で、どんどん進歩しています。怖いものなしの男の子になりました。私たちはジャックの状態について学び、成長の節目を追いかけるうちに、この子の発達に少し遅れがあることに気づきました。ですが、ジャックは本当に一生懸命取り組んで、ひとつひとつ克服していきました。私たちはジャックに、彼なりのタイミングで、自分のレースを走らせてあげることを学びました。セラピーを受けることを負担として捉えるのではなく、ありがたいことだと思っています。機会を捉えてジャックの進歩を観察すると、早くから最善のサポートをしてあげたことで私たちの役目を果たせたのだとわかり、安堵します。何かがあってからよりも、先まわりする方がずっといいことです!


長所に注目しましょう

 できないことばかりに目を向けるのではなく、47,XXYに伴うポジティブなところをほめてあげるようにしましょう。(補足:ジャックはあらゆる可能性を持った子です。いつかジャックが大人になったとき、今ほめてあげたような振る舞いをしていたら、大成功というわけです)。私たちはポジティブな部分をどんどん見つけながら、ジャックが彼ならではの長所を活かしていけるようにしてあげるつもりです。弱点を避けたり、なくそうとするのではなく、息子さんが自分の長所に気付いたり探したりするお手伝いをしてあげましょう。


息子さんの個性を尊重しましょう

 私たちは、それぞれ個性を持っています──すべての人に、その人ならではの長所と短所が備わっていて、うまくいかないこともいくこともあり、成長、発達、学習、意思疎通などの道筋と速さに違いがあるのです。みなさんの息子さんはX染色体をひとつ多く持って生まれただけのことです。息子さんを「普通の」「典型的な」子どもたちと比べたり、「風変わりな」子として見るのではなく、個性をほめ、お子さんの特別なところを讃えることに専念しましょう。例えば、学校で勉強することが難しいかもしれないと想像するよりも、お子さんが自分ならではの学習方法や、頭で情報を処理する方法を見つけられるように力を貸してあげましょう。お気持ちを切り替えて、47,XXYは、人生を歩んでいく特別な道筋にすぎないのだと考えるようにしましょう。



 マットと私は、ジャックとともに、わくわくしながらこの旅路を続けています。私たちは大きなことでも小さなことでも、何でもほめてあげるようになりました。私たちがジャックに教えるより、ジャックが私たちに教えてくれることの方が多いのです。彼は愛さずにいられない子で、私たちは日々ジャックを大好きになっています。この旅路は決して楽ではありませんが、想像していたよりはるかに価値があり、充足感を与えてくれるものでした。マットと私は、あらゆる物事に意味があるということ、そして神様がまさに私たちをジャックの親として選んでくださったことを信じています。これが私たちのストーリーです。この旅路は始まったばかりですが、お読みいただいた親御さんたちが、かつての私たちの姿を想像しながら、希望を持ってくださることを祈ります。これから息子の将来に何が待ち受けているか、そして彼がこのコミュニティの素敵な男の子たちとともに、人生の中でどんなに素晴らしいことを成し遂げてくれるかが楽しみでなりません。


(この体験談の日本語翻訳は,有志の方に翻訳をいただきました。ありがとうございます!)

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