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CAISを持つ女性たちのライフストーリーズ(1)

Life stories of women with CAIS Part.1

性分化疾患を持つ女性たち

CAISを持つ女性たち

完全型アンドロゲン不応症(CAIS)

 

 

でも何もかも酷かったわけじゃない。私たちCAIS女性は、人間の一員であり、フリークスじゃない。自分の生まれたありようで、自分をアウトサイダーだと思う必要はないんです。

ご覧頂く前に;ここでご紹介するライフストーリーは、AIS等のDSDs(性分化疾患)を持つ人々と家族のためのサポートグループ「AIS-DSDサポートグループ」のホームページに寄せられたものです。それぞれのライフストーリーでの見解は、それぞれ個人の見解であり、AIS-DSDサポートグループの運営者やメンバーの意見全体を代表するものではありません。サポートグループでは、DSDs(性分化疾患)を持つ人やそのご家族が励まされるようなライフストーリーを紹介するようにされています。

性分化疾患

カレンさん

私は33歳になって私の診断名、完全型アンドロゲン不応症(CAIS)のことを知りました。そこから私の人生ははじまったのです。私は自分の体の状態を自分の医療カルテから知りました。そこには、「精巣性女性化症」による「男性偽性半陰陽」と書かれていました。なんていう決めつけでしょう!そしてなんて的外れな名前でしょう!私は自分が女性だと分かっていますし、決して、偽物の女性なんかじゃありません。

 

今の話をしましょう。私の人生にはもう、嫌な秘密はありません。私は妊娠できないことを悲しみ、今まで恐ろしくて重い暗闇を生きてきました。AISは不妊 の原因になりますが、両親や医師の見当違いによって、一分の可能性も無くなってしまいました。性分化疾患で一番怖いのは、周りの人々が勝手に抱くイメージ へ の「恐怖」でしょう。それによって、私たちの多くは恐れの箱に閉じ込められ、人生を完全に体験できず、喜びもなく、周囲を気にするようになるのです。

性分化疾患を持つ女性

でも、もう私はそんなことはしません。友達や家族に私の話を打ち明けることで、私は友達や家族との関係がより深く、より良いものになりました。Y染色体にについては、だから何?と思っています。テンプル・グランディン(訳者注:アメリカの女性の動物学者。障害を抱えながら社会的な成功を納めた人物として知られています)が言うように、「私は人と違うだけ。劣ってるわけじゃないのです」。

 

AISのことを知るようになって、私はもっと寛容に、もっと人の気持ちを知れるようになりました。そして、私自身や他の人への私のひどい偏見に立 ち向かい克服していくきっかけにもなりました。AISは私に受容を教え、自分が何者なのかということを深く考えさせてくれました今でもAISのことや子どもが持てないことを考えずに過ごす日はありません。けれども決定的な違いは、昔はAISに呑み込まれていましたけど、今では私のひとつの側面に過ぎなくなっているということです。

 

私は性分化疾患に関する社会的烙印・偏見と、性分化疾患を持つ人への不十分な医療体制を終わらせるために活動をしています。女性とその家族のためのAIS/DSDサポートグループで働き、性分化疾患を持つ他の人との出会いは必須で、最適な心理カウンセリングが大切だということを広めていくお手伝いをしています。それに、今では私はお医者さんたちと一緒に、性分化疾患を持つ人への医療体制をより良いものにし、性分化疾患のもっと正確な情報を広める活動をしています。

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性分化疾患

キンバリーさん

30年ほど前私がまだ15歳の時、私は性腺切除手術を受け、「がん」になる可能性はなくなりましたが、私がその時言われたのは、こういう稀な体の状態は多分世界で一人だけで、子どもは決して持てないということでした。その時はそれを疑問に思わず、ただお医者さんや親が言うことをやっただけでした。それよりも私が訊いたのは、結婚はできるのか?家族は持てるのか?ということでした。

 

そして幸せにも、20年前に私は結婚し、かわいい双子の姉妹の育て親になっています。

性分化疾患を持つ女性

私たちは皆それぞれの物語を持っていますが、私の物語は少し特別なものです。私は自分のアンドロゲン不応症(AIS)のことを42歳になるまで知りませんでした。最初はショックで怖かったですが、自分のカルテを見て自分の本当の体の状態を理解することで、自分についてのたくさんの疑問がやっと解け、自分が何者であるのか初めて本当に理解できました。私はひとりの妻であり、母であり、娘であり、おばであり、法律家であり、写真家であることを。そう、私は本物の女性なんだって。

 

私が女性になっていく過程は特別なもので、でも同時に何百人もの女性たちとも共有できる道でもあったのだと、今では分かっています。AISサポートグループを見つけたことは、今までの人生で一番大きな出来事でした。ウェブサイトやeメールサークル、年次大会を通して、私は自分自身と自分の体の状態についてたくさん学んできました。何よりも素晴らしいのは、私は今でも、私と似たような体の状態のDSDs(性分化疾患:性に関する様々な体の発達状態)を持つ素晴らしい女性たちと出会え続けています。私はひとりじゃありません。そして、あなたもひとりじゃない。

 

もしあなたがこれを読んでいて、サポートグループにコンタクトをとるのをためらっているようなら、どうか私のアドバイスを聞いてください。コンタクトをとれば人生が変わります。喜んでいただけます。それに、何百人ものサポーティブな「シスター」たちがあなたを待っていて、あなたのペースとあなたの自分自身の考えを支持したいと思っています。確かに人生はそれぞれ個別の旅です。ですが、あなたを「理解できる」他の人々と話を共有することで、あなたの人生の旅はもっと容易に、もっと充実したものになるでしょう。

 

もし誰かが私のAISを消し去る魔法をかけてくれると言ったとしても、私は絶対にそれを引き受けません。AISがなければ、私は優しくて素晴らしい夫に出会えなかったし、二人のかわいい娘たちにも出会えなかったし、この素晴らしいグループの素晴らしい女性たちにも絶対に出会えなかったからです。

 

望むことがあるとすれば、ただひとつ。もっと早くAISの診断を受けて、もっと早くこのグループに参加できていたらということだけです。あなたに会えることを楽しみにしています。

 

あなたに幸せがあらんことを。

 

キンバリー

性分化疾患

ジョイスさん

私の名前はジョイスです。1965年生まれ。私が自分のAISからくる体の状態を知ったのは、12歳に遺伝子検査を受けたときでした。ですがこの時、AISはまだ睾丸性女性化症という名前でした。12歳の時に手術(性腺摘出術)を受けましたが、この時点ではお医者さんも親も、なぜ手術を受けなきゃいけないのか教えてくれませんでした。資料として私が持っていたカルテを読んでAISについての真実すべてを学んだのは、37歳になってからでした。

 

友達のような普通の思春期を迎えることなく、私は孤立感と混乱、それに恥ずかしさを感じました。両親にはもっとAISについて学んで、私とお医者さんと一緒に座ってAISについて詳しく説明して欲しかったと思います。AISについて本当に最悪だったのは、自分は他の人とは違うんだという思いを強くしたことと、なぜ子どもが持てないのか理解できなかったことです。私が説明されたのは、ただ子どもが持てない、これがあなたがこれからずっと詰め替えていかなきゃいけないプレマリンのボトルだからということだけでしたから。

 

私のAISの旅で一番良かったのは、私の姉妹にAISのことを話せたこと、それに共通する体験も共有できたことです。事実を知った後、姉妹とAISについて話して、「秘密」をお互いに理解してオープンに共有できたことは本当に良かったです。eメールのサポートグループを見つけたのも、私にはとてつもなく大きな助けになりました。ホルモン補充療法についてたくさん勉強できたし、お医者さんにAISのことをちゃんと説明する勇気も出てきました。私の最初の担当医は数年前に退職しましたが、幸運にも新しい担当医師を見つけることもできました。彼女は私のニーズをちゃんと汲んでくれて、自分の知っている情報は全て話してくれる人なんです。代わりに私も彼女に、eメールサークルやサポートグループで得た情報を提供するようにしています。

 

それに実は13年前に幸せな結婚もしました。夫は私を愛してくれて、私のAISの「体の状態」をとてもよく理解してくれる人で、とても幸せです。

 

 

 

性分化疾患

メアリーさん

 

私はとても「楽観的」な人なので、CAISを持つひとりの女性として感謝してることをリストにしました。

 

  • 子どもを産めなくても女性失格だなんて思われない時代に私は生きてる。

  • 毎月ナプキンを買うお金が節約できる。

  • いつだってセックスできる!

  • 2ヶ月後に結婚予定の素敵な男性との無条件の愛に恵まれた。

  • 生理痛もないし、月のホルモン変動での気分のムラがない。

  • 私は他の女性とは違った体で、きれいで、祝福されている。

 

 

12歳当時のことで思い出すのは、いつか来るだろうと思っていた「その時」(友達はもう経験済み)の練習のために、姉の生理用品を固くて未発達の膣に入れた時の痛み。14歳。「その時」がまだ来なくて、誰かが私に疑惑を持つ前に、生理が来たふりをすることにした時の悔しさ。タイミングも測ってました。ある日学校の後、下着に血が付いてるのを見つけて、バスルームから飛び出して、私にも生理が来た!って母に言いました。そういうことを叫んだ時、私はまだ事実を理解してなかったんです。とても悲しかった。。私には決して生理は来ない、それを認める心の準備ができるのに、それからまた2年かかりました。

 

16歳。初めて母が婦人科医に診てもらおうと言いました。嘘がバレたんだと思ってパニックになって、もっと後にしてほしいと母に頼み込みました。考えられる限りの言い訳をしましたけど、結局ある土曜日母が運転する車の中で、今までの嘘を認めました。母の心配そうな顔を今でもはっきりと覚えてます。母は私に、知り合いで子宮がない状態で生まれた人がいて、私も同じ体の状態かもしれないと言ったんです。

 

母は車を側道に止めて、必死に私のお腹に手を押し当てました。そこには何も感じられるものがありませんでした。ついに私は婦人科の検査と血液検査を受けることを認めました。それで私がCAISを持っていることが分かったんです。でもその時は私は大丈夫でした。私が理解したのは、私は単に子宮がない状態で生まれただけということでしたから。その時はまだ、私には精巣がある、染色体が男性型だということは言われてなかったんです。実際私が言われたのは、卵巣が正しく形成されなかったから、がんのリスクが高いので、摘出しなければならないということ、つまりせいぜい半分だけの事実だったんです。それに両親は、誰も理解できないだろうから、このことは誰にも言ってはいけないと私に言いました。こう言われて私は、自分の体の状態は嫌悪されるような恥ずべきものだと思いました。これは、私の状況に対して私が元から持っていたタブー感を強くしたのだと思います。でも、私が幸運だったのは、手術(性腺摘出術)の夜、怖くて死にそうになっていた時、自分で恥ずべきものだと思ってた自分の状況を打ち明けられる、10代からの友人たちがいたことです。みんな私と一緒に泣いてくれて、私がどれだけ綺麗で才能があって面白くて女の子っぽいか言ってくれて、誰もそんな私との時間を嫌に思わなかったんですから。この日からもう15年。私はこの夜をこれっぽっちも忘れたことがありません。

 

以来私は完全な普通の満足のいくセックスもできています。今は31歳。人生で最愛の人と結婚する予定です。私は私が女性であることを、ここまで来たことをうれしく思っています。仕事も順調で、幸せで健康な家族たちに、私自身の人生のペースを持てている。これ以上望みようがありません。こういう状況で成長し、折り合いをつけていくのは正直簡単ではありませんでした。でも、何もかも酷かったわけじゃない。私たちCAIS女性は、人間の一員であり、フリークス(奇人変人)じゃない。自分の生まれたありようで、自分をアウトサイダーだと思う必要はないんです。

アンドロゲン不応症(AIS)とは?

アンドロゲン不応症(AIS)とは、DSDのひとつです。完全型AISでは、染色体はXYで内性器も精巣なのですが、男性に多いアンドロゲンホルモンを受容するレセプターが働かず、母親の胎内で、外性器などの体は完全な女性として生まれてきます。しかし、子宮や膣の一部がなく、生物学的な子どもを持つことができません。一般的に女性のこの体の状態が判明するのは思春期前後で、ご本人もご家族も大きなショックを受けられることがほとんどです。

 

また生まれた時に判明するAISもあり、この場合は男性型と女性型のパターンがあります。つまり、AISでも男性の場合と女性の場合があるということです。

ケイティさん(性分化疾患:完全型アンドロゲン不応症)

CAISを持つケイティさん

CAISを持つケイティさんが出演したドキュメンタリー

  

海外国家機関DSDs調査報告書

ベルギー国家機関性分化疾患/インターセックス調査報告書
オランダ社会文化計画局「インターセックスの状態・性分化疾患と共に生きる」表紙

 近年、教育現場や地方・国レベルで、LGBTQ等性的マイノリティの人々についての啓発が行われるようになっています。その中で,DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)が取り上げられるようになっていますが、昔の「男でも女でもない」という偏見誤解DSDについての知識が不十分なまま進められている現状があります。

 そんな中,人権施策や性教育先進国のオランダとベルギーの国家機関が,DSDsを持つ人々とご家族の皆さんの実態調査を行い報告書を出版しました。

 どちらもDSDsを持つ人々への綿密なインタビューや、世界中の患者団体、多くの調査研究からの情報などを総合し、誤解や偏見・無理解の多いDSDsについて、極めて客観的で当事者中心となった報告書になっています。世界でもこのような調査を行った国はこの2カ国だけで,どちらの報告とも,DSDsを持つ人々に対する「男でも女でもない」というイメージこそが偏見であることを指摘しています。

 ネクスDSDジャパンでは,この両報告書の日本語翻訳を行いました。

DSDs総合論考

 大変残念ながら,大学の先生方でもDSDsに対する「男でも女でもない」「グラデーション」などの誤解や偏見が大きい状況です。

 

 ですが,とてもありがたいことに,ジェンダー法学会の先生方にお声がけをいただき,『ジェンダー法研究7号』にDSDsについての論考を寄稿させていただきました(ヨヘイル著「DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患/インターセックス) 排除と見世物小屋の分裂」)。

 今回,信山社様と編集委員の先生方のご許可をいただき,この拙論をブログにアップさせていただきました。

 DSDsの医学的知見は大きく進展し,当事者の人々の実態も明らかになってきています。ぜひ大学の先生方も,DSDsと当事者の人々に対する知見のアップデートをお願いいたします。

 

 (当事者・家族の皆さんにはつらい記述があります)。

ジェンダー法研究:性分化疾患/インターセックス総合論考
ジェンダー法研究:性分化疾患/インターセックス総合論考
性分化疾患YouTubeサイト(インターセックス)
ネクスDSDジャパン:日本性分化疾患患者家族会連絡会
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